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| 2003.05 MCRJ ニュースレターより |
| MCRマガジン 2003 年5 月号「ワークス997 クーパー追記」より ピーター・バーカー 先月号のステファン・エントウィッスルの素晴らしい記事「モータースポーツにおける997 クーパー」の補足として、BMC の所属を離れたのちのワークス997 クーパーの顛末について少し書いてみようと思う。このネタは、以前私がミニワールド誌のために調査していた、「誠意ある公式情報」から引用したものである。ここではそのネタの概略だけをお伝えするが、それでもなお興味深いものだと信じる。 737 ABL 号 ステファン・エントウィッスルは、ピーター・アントンがアビンドンからこの車両を購入した、という事実を述べた。その後この車両は英国南部地方の、数人のスポーツ好きのオーナーに渡ったのち、70 年代初頭にスクラップ場でその生命を終えた。パット・モスが初の国際ラリーにおける勝利をもたらした、最初期のワークス・ミニクーパーとしては余りに悲しい結末であった。 407 ARX 号 この車両の初めての個人オーナーは、ピーター&アン・ライレー夫妻で、その時点で1071S のエンジンに換装されて1964年のチューリップ・ラリーに出場した。このラリーにおいてライレー夫妻は、クラス優勝間違いなしであったが、彼らのテストステージの一ヶ所でのタイムが余りにも速く、かつ時間が正確であったことを信じようとしない主催者によって、ペナルティを科せられてしまう。数時間にも及ぶ抗議もむなしく、アンはペナルティ取り消しを得ることが出来ず、かなり下位の順位に甘んじることになる。407ARX 号はその後モータリング・プレス誌を通じて、英国南部と中部の少なくとも5 人のオーナーの手に渡り、現在は北部のオーナーの元にある。 977 ARX 号 1963 年のアルパイン・ラリーにおける凄まじいクラッシュの後、コンペティション・デパートメントの記録では登録抹消されたことになっているが、この車両はリビルトされた。伝えられるところによると、競技部門での生命を終えたのち、ファクトリー周辺で乗用車として使用されていたらしい。1970 年代中頃にスクラップされるまでは、英国南部で登録され課税されていた。その後遠く合衆国にて発見されたが、公式記録によると、ワークスカーを抹消されたのち10 年以上に渡って英国内で使用されたとされている。20 年もの休眠から掘り出されたのち、977 ARX 号は正確にリビルトされ、1994 年にヒストリック・ラリーカーとして復活した。現在までに50 近くの国内、8 つの国際ヒストリックラリーに出場を果たした。 477 BBL 号 マイク・ウッドが彼の「リンゴ園」の従業員を代表してこの車両を購入した。最初の個人オーナーとしての登録はブラッドフォードにおいてなされ、その後1960 年代後半に英国南東部の新オーナーに渡った。その後のこの車両のヒストリーと消息は不明であるが、少なくとも1 台のワークスサポートを受けたミニクーパーが、ラリークロス競技車両としてこの地で消滅している。477 BBL 号はラリークロスの泥の墓場から空に旅立って行ったのかも知れない。 17 CRX 号 スチュワート・ターナーがこの車両の最初の個人オーナーであるが、この売却がBMC 社有車販売計画の初期の一例だったかもしれない。どれだけの人が元ワークス・ミニクーパーを社有車として所有することを要請したというのだろう?17 CRX 号は60 年代半ばに再び、英国中部の数人のオーナーに売却され、ピーター・バーカーなる人物(私とは関係あり ません、念のため)によりモータリング・ニュース・ラリーに参戦した。その後1275S にモディファイされ、ピーター・ヴァレンタインによって再び競争力のある車両となった。 18 CRX 号 ポール・イースターが購入した、最後のワークス997 クーパーとして登録されたこの車両は、サンプガード試験用に供されてきたためにひどい状態であった。ポールは数年後には東中部在住の美容師に譲り、さらにそこから南部へ移っていった。ステファン・エントウィッスルによると、この車両はイアン・クーパーによって1960 年代末にオートクロスに使用された。過酷に使用されたワークス・クーパーなど誰も欲しがらない1970 年代前半、この車両は消滅した。 |