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| 2002.04 MCRJ ニュースレターより |
| 2001年6月号より翻訳 レース車両輸送の苦労話 ジンジャー・デブリン クーパーミニのワークスチームが結成されたとき、チームを2つに分割することに決まった。ひとつはケン・タイレルと前年までジョン・ウィットモアのメカニックを務めたロジャー・ベイリー、そして南アフリカ人メカニック、トニー・ジェフリーズのマネージングによる、オースチンとモーリスクーパーでの欧州サルーンカー選手権への参戦。 もうひとつは、私自身とファクトリーから引き抜いた既存のメカニックによる、英国サルーンカーレースへの参戦。 私が英国内のレースを担当した理由は、工場関連の他の業務にも時間を割きたかったことと、ケン・タイレルがヨーロッパで、シングルシーターのフォーミュラーJr.を走らせていたことによる。 レース車両運搬の問題が持ち上がったとき、恐らくはBMCの広報部門あたりの指示だったと思うが、『レーシング・ミニをトレーラーに積載してミニ・ヴァンに引かせるとパブリシティ効果が期待できるに違いない』という決断がなされた。 サービトンの我々とオークハムのタイレルチームは、この程度の積載能力では不充分であるとして甚だ懐疑的で、1500ccクラス(A55またはA60?)のヴァンを要請した。 しかし決定は覆されことなく、誰が決めたか知る由もないがミニ・ヴァンに決まってしまった。 4台のミニ・ヴァンが予定通りに到着し、それらはチームカラーであるミッド・ブランズウィック・グリーンの車体色とオールドイングリッシュ・ホワイトの屋根、ボンネットストライプが塗られてきた。 私が言いたいのは、とりわけ海外遠征をするチームにとって、適正な量のスペア部品と装備の確保が何よりも重要であることなのだ。予備エンジン、おびただしい量のタイヤとホイール、ジャッキ、燃料注入用具、ピットサイン、工具箱、オイル等のピット用具等々。トレーラーに乗せたレーシング・ミニの内部にもタイヤ等を満載しなければならないことがあった。 この結果、車両の馬力不足は歴然で、トラクターよりも重い負荷を引かせるには、有能で注意深いドライバーを必要とした。 ロジャー・ベイリーがこの最初の海外遠征に当ったのだが、戻ってきて彼は大いに不満をぶちまけた。時間は常に貴重で、チームが必要とする準備時間をしばしば輸送時間が侵害することもあった。加えて当時の欧州共同体の元では、ヨーロッパ各国間の通関が問題になることが多く、何の目的で使うのかも分からないようなバカな税関吏のために、多量の書類を準備したり精通したりする必要があった。 うまい対処法としては、英国でも聞いたことのないような抽象的な官僚的書類を要求することだった。このために税関吏はブリュッセルやパリ、ボンの税関本部へ電話確認するハメになり、もちろん、それは本部の昼休みを狙って我々が計画したのだった! でもその結果は遅刻。時間を取り戻すためにドライバーは疲労の極限まで運転し続けるか、1回目のプラクティスを放棄することになってしまうのだ。こういうときにはミニの装備が荷物になった。追い越しを掛けるには長い距離を必要とし、道路状況によっては横風が問題になり、その結果、事故を回避するためには様々な予測をする必要が生じた。 中央南フランスの山々では悲惨な目に会ったものだ。イタリアに通じるモンテ・セニ峠は標高約7,000フィートで、そのために上りも下りもローギヤの多用を強いられた。 タイレルチーム側がミニ・ヴァンで荷物を搬送することに不満を言い出すまでに、そんなに時間は掛からなかった。 我々英国側はこの点ではラッキーだった。それほど長距離を走行する訳でもないし、ブランズハッチ6時間耐久レースを除いてはそれほど装備も多くはなく、だいたいは約25ラップ程度―すなわちこれは、ピットストップ、燃料補給、タイヤ交換その他の不要を意味する。 徹夜のエンジン交換作業の必要が生じた場合でも、首尾よくこなすことができた。(997、1071、1275、そして970と年中いろんなエンジンを使ってレースしてきたが、私の記憶では、エンジン交換をした覚えがない。) 実に信頼性が高い!と言うわけだ。 加えて、英国内の道路が単調であった。当時のA級道路における牽引車両の最高速度は、3トン未満の商用車両は全て、たったの30マイル/時。(ミニは3リットルクラスに属す!)サイドガラスが有りさえすれば、速度無制限(そんなバカな!)であった。そのためにドライバーは絶えずバックミラーを確認する必要があった。 我々はその年、大きな事故もなくシーズンを戦い抜き、これらのヴァンはサービトンやオークハムでの一般的な使用に供されることになり、クーパー・カーズの全てのレース活動を休止した後、しばらくして全車両がスクラップにされた。 さてチームとしては、より大きな積載能力を持つ必要があることを確認。すでにBMC製のディーゼルトラックが1台あったが、これより少し小型がディーラーへの新車納入に使用されていた。この車両は通常、前部の低い位置にスペアや器具類を搭載する大きなロッカーを装備しており、2台の車両用の独立したスペースと、もう1台分(今や我々はスペアカーを持つに至った)は後部の低い位置に格納された。結局、2台目のトラックがもう1チーム用にも購入された。これも似たような車両であったが、より整然としていた。 トランスポーターは上部の車両を積載する際に、しばしばパドック内で大いに興味を持たれることがあった。焼き入れしたクラッチプレートを持つレーシング・クラッチは、半クラッチが使えない。地面に停めた状態から、トランスポーターの一番上の「梁」のてっぺんまで一気に駆け上がる!!パドックのギャラリーは、勢い余ってミニがトランスポーターを飛び越えて、向こうの地面に着地するかもしれないことを期待していたようなのだ。もちろん、こんなことは有り得ないことだった。傾斜ランプのてっぺんには、万一に備えて!頑丈なクロスビームが渡してあったのだ。(やれやれ!) 追記として、たぐい稀な才能と人気を誇った自動車漫画家、ラッセル・ブロックバンク氏が取材のために一度、我々のレースに帯同したことがあった。これはその後、オートスポート誌に掲載されたと思うが、『ミニ・ヴァンの後部扉のなかから傾斜ランプを下りてくるレーシング・ミニ』が描かれている。有り得ないことだって? そうだろうか。 |
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