| 2001.05 MCRJニュースレター より |
| MCRマガジン翻訳コーナー MCRマガジン2001年4月号より ジョン・クーパー追悼文 ロバート・ヤング ビューリーでのさまざまなイベント会場で、ジョンに会う幸運に恵まれた多くの会員にとって、彼のミニに対するエンスージャズムは衆目の一致するところだろう。私が初めてレプリカのワークスミニをビューリーに持ち込んだ時も彼は、そばにいたジャック・ダニエルとともに実にじっくりと時間を掛けて車両の隅々まで観察していたものだ。2人揃って世界中のいたるところでのワークスカーの功績の思い出話に浸り、私には車両の些細な部分にまでうるさいくらいに質問を投げかけてきたことを思い出す。この貴重な記録を写真に収めなかったことが悔やまれる。彼の聞き手の時も語り手の時も心からエンジョイするエンスージャズムは教わるところが多く、彼を失った損失は計り知れない。 ジョンは本来的には、若々しいレースカー・コンストラクラーの一人として認識すべきであり、今回はクーパーの新型グランプリ・カーとして報道されたオートスポーツ誌、1966年1月号の記事から見つけた内容をアーカイブすることにしよう。同時に1966年後半のメキシコGPでの素晴らしい2台の車両写真をモータースポーツ誌の中から見つけた。(2001年4月号のMCRマガジンの写真参照=訳者)ドライバーはジョン・サーティースとヨッヘン・リント。共にワールドチャンピオンに輝いたドライバーである。さらに注意して観察すると、2台のクーパーに挟まれた車両は、ジャック・ブラバム(同じくワールドチャンピオン)駆るところのレプコ・ブラバムV8が目一杯のフル・カウンターステアを当てている。(トラクションコントロールが当たり前の現代F1では、決して見ることの出来ない光景である) そして、ミニクーパーのボンネットストライプがミニクーパー独自のスペシャルサイン、と考えている一部の読者のために、この写真のストライプこそがローバーミニクーパーに受け継がれたのだ、ということを付け加えておこう。 1966年シーズンにおけるクーパーGP車両には、マセラティの12気筒エンジンが搭載された。そう、あの素晴らしい音色を発するものと皆が信じる、12気筒エンジンが。 最高出力は350馬力で、これは現代のGP基準から見るとひどくアンダーパワーではあるが、1966年当時においては基準ベンチマークを若干下回るレベルにまで達していた。24個のスパークプラグを点火させる燃料噴射式エンジンは、音色の印象以上によく回り、ZFの5速ミッションを持つジョン・サーティースの車両は、このメキシコGPにおいて勝利を収めたのである。 実際、ジョン・クーパーは技術力の高いレースカー・コンストラクターとして認知されていた。彼の作る車両は品質に優れ、恐らくコーリン・チャップマンと彼のロータスよりも勝っていた。しかしながらチャップマンの「究極の設計技術」の向上がクーパーを苦境に立たせ、ロータスと他のチームにあのコスワースDFVエンジンが供給され始めるようになると、クーパーGPカーの時代の終焉を迎えることになっていくのである。 そして同じくクーパーエンジンのミニクーパー・レーシングカーとワークス・ラリーカーのあの活躍、、、、。 何とも凄い遺産をジョンは我々に残してくれたものだ。 (他、ジンジャー・デブリン、バリー・ウィリアムズ追悼文 つづく、、、、) |